遠方でロケ撮影の仕事があり、クルマで向かう事にした。片道4時間半の一人旅。新東名を快調に飛ばしていると、なんの予兆もなく突然、猛烈に井上陽水が聞きたくなった。絶対あると念じながらサービスエリアに駆け込み、CDを売っている店を探した。あった。正規のアルバムではなく寄せ集めのベスト盤だがそれで十分だった。収録曲はほとんど知っていた。誰もいないのをいいことに大声で一緒に歌っていると、あっというまにロケ地に着いた。
はるか数十年前、フォークミュージックが全盛の時代があった。そのなかでも井上陽水は吉田拓郎と並び、絶大な人気を博していた。
1973年に発売された『氷の世界』は衝撃的だった。日本音楽史上初のミリオンセラーとなり、ひとつの”事件”とも言われたこのアルバムは、絶望的に音楽情報が乏しかった片田舎の自分をあっというまに夢中にさせ、音楽という奥深い世界にいざなってくれたエポックな一枚となった。
それから数十年、いろんな音楽をわたり歩き、いつしか陽水の楽曲も自分のミュージックライブラリーから姿を消していた。それがなぜ突然、猛烈に聞きたくなったのか?その時点では知る由もなかった。
しばらくして、長年仕事をしているメジャーレーベルのY氏と会う機会があった。雑談のなかで、どういうアーティストと組んでいきたいか?となんとなく聞いてみた。「いや実は・・」「超大物ミュージシャンに興味があるんですよ」「誰だと思います?」永ちゃん?ユーミン?ミスチル?「違います」「ヒント、史上初のミリオンセラーアルバムを出した人です」
脳内に雷鳴が轟いた。「井上陽水!」
そこから怒濤のようにまくしたてた。自分にとってはかけがえのないミュージシャンであること。『氷の世界』の衝撃。そして新東名でのエピソード。。「ここにつながっていたんだ!」「Yさん、僕はこのためにあなたと出会ったんです!」「何かやることないですか!」仕事をオーダーされたわけでもないのに、むちゃくちゃなプレゼンテーションを展開した。
唖然としていたY氏は苦笑しながら、まだ何も決まってはいないが、自身がファンだったということもあり、現在開催中のツアーに行きまくっていると言う。このライブは『氷の世界』の発売40周年を記念したもので、収録曲をすべて歌うという、往年のファンにとってはたまらない内容で、全公演ソールドアウトとのことだった。
「次の公演は東京のNHKホールなんですよ」とうっかり教えてくれたので、間髪入れずに「行きたい!」と答えた。「行かなくてはダメなんです」。Y氏はしまったという顔をしている。自分は仕事上の関係においてあんまりこういう要求はしたことがなかった。しかしこれに関しては事情が違う。この不可思議な連鎖はただごとではない。すでに“運命”に組み込まれていることなのだ。
迷惑千万な思い込みは時に信じられない効力を発揮する。後日、Y氏はチケットを用意してくれた。
井上陽水はバリバリの現役だった。透明感のあるメロウな歌声に渋さと迫力が増している。氷の世界を熱唱する姿はまさに”LIVE”。今ここに生きている陽水が目の前にあった。
数週間後、電話があった。「井上です」。なりすましのY氏だった。ツアーの追加公演が決定し、それに合わせてライブアルバムを緊急発売することになった。ついてはジャケットデザインをお願いできないか?
僕らにとって最大級に嬉しい夢のような仕事。それは自分がリスペクトしたミュージシャンに対しての仕事に違いない。