『つながるしあわせ』 〜WISE・WISE〜

『つながるしあわせ』 〜WISE・WISE〜

2020年夏、ワイス・ワイスの創業者、佐藤岳利さんから電話があった。
「新しいブランドブックのアートディレクターを探している。ついては一度お会いできないか?」。仕事の依頼で創業者ご本人が連絡をしてくるのはレアケースなので少々戸惑ったが、ここからつながりの連鎖が始まった。

ワイス・ワイスは、1996年に内装や家具インテリアの製造販売会社として創業。以来、数々の大型案件を手がけ順調に業績を伸ばしてきたが、2005年の耐震偽装事件が引き金となり、リーマンショックが追い討ちをかけて事業のキャンセルが続出。さらにデフレによる値下げ合戦に飲みこまれ、生き残るために安価な中国での生産を余儀なくされた。その後、中国の現場視察に出向いた時、衝撃的な事実を知ることになる。

中国の製造工場はとてつもなく広大だった。そこへ信じられないほど大量の木材が運び込まれてくる。責任者にどこの国から来たものかを尋ねたが教えられないと口を閉ざす。疑問に思い調べてみると、伐採が規制されている区域の違法木材を当たり前のように使用していた。そして、中国に限らず世界中で違法伐採が行われ、野生動物の生息域の減少や地球環境に悪影響を及ぼしていることがわかった。ワイス・ワイスの家具づくりが、間接的とはいえ環境破壊に加担していたのだ。

「オランウータンを絶滅させているのはあなたたちだ」。
中国で知った事実にショックを受けた佐藤さんは、それがきっかけで参加した環境団体のセミナーでそう糾弾された。家具メーカーとして違法木材のチェックの有無を問われ、していないと答えるしかなかった。木材の生産地のことなど考えたこともなかったからだ。セミナーの帰路、考えながら歩き続けた。気がつくと自宅の前にいた。4時間経っていた。

子どもたちに恥じない仕事をしたい。2009年ワイス・ワイスは「グリーンカンパニー宣言」を公表した。社内の反対を押し切り、事業を「顔の見える家具作り」に方針転換したのだ。
違法木材を使わず、生産地が明らかで正しく管理された木材”フェアウッド”しか使用しないと決断した。それまで家具メーカーで使用木材の履歴を追跡する”トレーサビリティ”を実施している会社は存在しなかった。大変な手間と労力がかかるからだ。宣言はしたものの、やり方も前例がなく手探りの船出だった。

当時その理念に共感してくれる企業はなく、倒産寸前にまで追い込まれたが、時代が追いついてきた。同じ志をもつ企業とつながり始めたのだ。それが「パタゴニア」であり「スターバックス」だった。
両社はともにSDGsが謳われるずっと前から、環境保全や地域への貢献を標榜するエシカルな思想を持ち具体的に活動していた。現在、それぞれの店鋪で扱う木製のテーブルや椅子などを、周辺地域のフェアウッドで製作することに積極的に取り組んでおり、主要な店舗のプロデュースをワイス・ワイスが手がけている。

昨年5月、ワイス・ワイスは世界中のフェアウッドを扱う木質建材大手「MARU-HON」と資本業務提携、さらにサステナブルな事業を拡大していくという。
新しいブランドブックに求められたのは、「フェアウッドを常識へ」というワイス・ワイスの使命を伝えることだった。


佐藤さんと対面する前にワイス・ワイスのことをリサーチして驚いた。
毎年、宮崎にある諸塚村の小学6年生を夏休みの課外授業として、東京本社に招待していることを知ったのだ。諸塚村は宮崎県北部の山間部に位置し、ほとんど平地のない人口約1,500人の小さな村だ。
宮崎県民でもほぼ立ち寄ることの無い山奥の村なのだが、中学生のとき何回か訪れたことがあった。亡くなった父が数年間、諸塚小学校に単身赴任していたからだ。受け持っていたのは6年生だった。このつながりはただ事では無い。

諸塚村は森林が村の95%を占め、林業とともに原木栽培による椎茸の発祥地として知られている。原木用のクヌギ、コナラ(どんぐり材)は、直径が20cm以上になると重すぎて規格外となり山林に放置されてしまう。それは新たな植林を阻み、結果的に森の循環に悪影響を及ぼしていた。
グリーンカンパニー宣言をした翌年、ワイス・ワイスは諸塚村役場や国際環境NGOと一緒に規格外の木を活用するプロジェクトをスタート。3年の歳月をかけてどんぐり材の家具「MOROTSUKA」を完成させ、リニューアルを重ねて現在も販売されている。

このプロジェクトがきっかけで、諸塚村の小学6年生の来訪を受け入れ、トレーサビリティや環境保全の重要性を学ぶサマースクールを開催しているらしい。児童達にとっては、自分の村の木が製品となって都会で販売されていることに新鮮な驚きを覚え、ふるさとへの愛着や林業への理解を深める絶好の機会となっている。
ワイス・ワイスは産地との関係において、単にビジネスだけでなく、子供達や地域の人々とのつながりをとても大切にしていることを知った。
もはやこの仕事をやらない理由はなかった。


コピーライトは九州・宮崎つながりの鎌田健作さんにお願いした。多くの取材が必要で長丁場必至のプロジェクトだったが、強く響く言葉の数々を紡いでくれた。
打合せを重ね、ブランドブックのコンセプトや構成は固まったが、表紙のデザインはずっと決めかねていた。納得できる表現が降りてこない。

逡巡していたある日、ブランドブックの印刷プロデューサーが、参加しているアート同人誌の最新号を持ってきた。毎号彼が寄稿した絵に対して感想を述べるのが恒例になっていたからだ。
同人誌をパラパラめくっていくと、ある作家のページで手が止まった。小さく掲載されていた作品にくぎ付けになった。プロデューサーの作品には目もくれず「これ誰ですか?」「アポ取れますか?」と矢継ぎ早に質問した。ブランドブックの表紙がそこにあったのだ。

あらゆるツテを使い、その作家にコンタクトを取った。複数の美術大学でアートを教え、御殿場のアトリエで作品を作り続けている作家スズキヤスイチロウさんは、ワイス・ワイスの企業哲学に共鳴し、作品の提供を快諾してくれた。やりとりの中でスズキさんが突然切り出した。「日高さんとは昔会ったことがありますよ」。思い出せないぐらいのずっと前、二十数年ぶりの邂逅だった。

この仕事は不思議なつながりが連鎖した。
撮影をお願いした写真家の蓮井幹生さんは、連絡した翌日、宮城県石巻市雄勝町の『モリウミアス』を訪れていた。そこは東日本大震災で廃校になった小学校をリニューアルした複合体験施設で、蓮井さんは数年前から子供達相手に写真のワークショップを行っていた。
打ち合わせの席で、それまで幾度となく座っていた椅子が、昨日資料で見たワイス・ワイスの椅子に似ていると思いオーナーに尋ねてみたという。まさにその通りだった。モリウミアスの家具や食器は、その復興支援に共感したワイス・ワイスが、小学校の裏山や東北の木を使って製作したものだった。

椅子のポートレートは長野県茅根市にある蓮井さんのスタジオで撮影することになった。しかしスケジュールの都合で立ち会うことができず、ワイス・ワイスのブック担当者野村さんに椅子の搬入を委ねた。
搬入後、蓮井さんがランチを一緒にと食べようと行きつけのレストランに誘った。店名を聞いた野村さんは驚いた。そこは彼のお兄さんが経営するレストランだったのだ。お兄さんは連れられてきた弟を見て「なんで蓮井さんといるの?」と声をあげたという。

ブック制作も佳境を迎え、表紙の印刷に立ち会った。スズキヤスイチロウさんの作品はスミ1色の箔押し加工で表現すると決めていた。担当してくれたのは、若い女性のオペレーターだった。正確丁寧な仕事ぶりで即座にOKを出した。
後日プロデューサーから聞かされたエピソードに仰天した。終了後、オペレーターがこう言ってきたらしい。「鈴木先生の作品に携われて嬉しかったです」。
彼女は偶然にもスズキヤスイチロウさんの元教え子だった。

ワイス・ワイスとの打ち合わせで、これを見ておいてくださいとDVDを渡された。
佐藤さんが以前出演したテレビ東京のビジネス番組『カンブリア宮殿』の録画だった。
番組の最後に出演者が自身の座右の銘を書くコーナーがある。
佐藤さんが書いた言葉は「つながるしあわせ」だった。
まさに。ワイス・ワイスのブランドブックはいろんなつながりで出来上がった。

「WISE・WISE BRAND BOOK」は「Living with Fairwood」と「The WISE・WISE solution」の
両面表紙構成にした。 Photographs by Michinori Aoki

CD,AD / HIDAKA EIKI(GritzDesign)
D / MIURA YUKA(GritzDesign)
C / KAMADA KENSAKU
P / HASUI MIKIO, TANAKA YUICHIRO, KAWATEI MASAHIRO, OHTA AKIRA
WOOD ART / SUZUKI YASUICHIRO