2001年3月24日夕刻、パリ郊外にあるサンドニ競技場を訪れた。このスタジアムで行われた98年ワールドカップ決勝でブラジルを破り、初優勝を遂げたフランス代表と、歴代最強と謳われたフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表の親善試合を観戦するためだった。
その戦いは後に「サンドニの悲劇」と呼ばれた。フィジカルの強さ、スピード、正確なパス、そして決定力..。すべてのレベルが違いすぎた。試合終盤、取り囲むフランス人サポーターから「日本頑張れ!」と同情の声援を受ける屈辱。トルシエジャパンはジダン率いるフランス代表に完膚無きまでに叩きのめされ、0対5の惨敗を喫してしまった。
そんな日本代表に、孤軍奮闘する選手がいた。屈強なディフェンスをはね飛ばし、果敢に攻め込んで惜しいシュートを連発している。中田英寿選手のアグレッシブな躍動は消沈するチームの中でひときわ輝いていた。
「ケガだけはしないでほしい・・」唯一の光明ながら、祈るようにそのプレイを見守っていた。なぜなら、翌日その中田選手を撮影しなければならなかったからだ。
独立してまもなく、NIKEのサッカーキャンペーンをやらないか?と声をかけられた。断るわけがない。日本人の”足”を徹底的に調査・分析。新開発した日本人専用の画期的なサッカーシューズの広告キャンペーン。グラフィックはサッカー専門誌を中心に出稿、表現は”契約プロを出演させること”が条件だった。
スポーツ選手の写真表現で確信していることがあった。それは、本気でプレイしている姿を超える表現はない。ということだ。どんなに着飾ろうが、ポーズを作ろうが、一瞬にすべてを懸けている姿には絶対かなわない。サッカー専門誌は、そんな必死で戦っている選手達の写真であふれている。全く違うアプローチで挑まなければドキュメントに負けてしまう。
“足の肖像”で表現したい。
鍛え抜かれた筋肉、削られた疵跡、サッカー専門誌のメイン読者である部活少年に対して、プロ達の足はそれだけで雄弁にいろんなことを語ってくれるのではないか?と考えた。”高額な契約をしているプロ達の顔を出さない”という提案に対し、NIKEの答えはGO!だった。
肖像とはいえ、弛緩した筋肉をおさえるつもりはなかった。真新しいシューズをはいた選手に目一杯練習をしてもらい、息が上がった状態で、グランド脇に設置したカメラの前に立ってもらう。当然シューズは汚れたままだが、そのリアリティが大事なのだとクライアントの了承はもらっていた。新商品を汚れたままでOKと言ってくれるブランドはそうない。
中田英寿選手は多忙だった。イタリア、セリエA・ASローマでプレイし、日本代表にも招集され続けていたため、撮影スケジュールの調整に苦慮していた。ギリギリのタイミングでエージェントから指定された場所はパリ。撮影日はフランス代表との親善試合翌日、時間は30分だけだった。
試合中の懸念はすぐに吹き飛んだ。中田選手は前日同様アグレッシブな動きでフォトグラファーの要求に軽々と答えている。これがあれだけ走り回っていた人物の動きなのか?スタッフ全員驚愕の面持ちだった。撮了後、拍手で送られスタジオを後にした中田選手の表情は笑顔だった。タフでなければ世界と戦えないのだ。
今やワールカップ出場常連国となった日本代表。それは数々の悲劇的な体験と、先人が切り開いてきた道があったからこそ、だと思う。