酒は嗜む。
芋焼酎文化圏で生まれ育ったためか、アルコール耐性がDNAに組み込まれていたんだと思う。二十歳(たぶん)になってから数十年、焼酎・ワイン・シングルモルトウィスキー・・、酒は、音楽とか映画と同等の嗜好品としていつも身近にあった。
ある日、ずっとご無沙汰していた知人からいきなり連絡があった。
中国の酒造メーカーがパッケージのリニューアルを考えていて、日本人デザイナーを探している、ついてはその候補の一人になってもらえないか?という内容だった。縁があってデザイナーの人選を頼まれたらしい。
声をかけてくれたのは嬉しかったが、丁寧にお断りした。
行ったこともない場所の、聞いたこともこともない会社の、飲んだことこともないお酒のパッケージなど簡単に受けられない。何よりそれを日本人の複数デザイナーに、短期間で競わせるというやり方が納得いかなかった。
パッケージデザインは難易度が高い。市場やターゲット、競合商品、流通、販路などを理解したうえでコンセプトを設定し、差別化と価値向上を目指す。そして商品の保護や実用性を担保し、コストにも目配せしながら、どう目立つか?を設計する仕事なのだ。よく知らない中国市場向けパッケージなど安請け合いできないと伝えた。
「再来週、社長さんが来日するので会うだけ会ってくれ」断ったつもりが軽く受け流された。返答がどうであれもうスケジュールに組み込んでいるらしい。呆れながら、なぜ僕を候補にいれたのか聞いてみた。「直感だけど、合いそうな気がした」らしい。
10日後、社長以下4名のスタッフがぞろぞろといらっしゃった。すでに他の候補デザイナーとの面接はすませ、最後の面接とのこと。挨拶もそこそこにせっかくご足労いただいたが、今回のコンペに参加するつもりがないという意向を伝えた。パッケージデザインは簡単ではないこと、自分のデザインの考え方、仕事の取り組み方など、これまでのいろいろな事例を見せながら、長々とその理由をお伝えした。
社長は一言も発することなく、じっとお断りの話を聞き入っていた。ひと段落して、あなたの話はよくわかりました。それでは私の話を聞いてくださいと言ってきた。大きさや豪華さを競うだけの閉塞した中国市場の現状、量ではなく質を追い求めたいこと、そのためにはパッケージデザインこそ重要であるという確信。
会社を新しい酒造メーカーとして再定義するために、あえて日本人デザイナーにそれを託すことにしたと言う。ただたんにユニークなアプローチを期待しての日本人起用ではなく、デザインのチカラを信じてのチャレンジだとわかった。その真摯な思いに図らずも感銘を受けてしまっていた。
面接後しばらくして連絡があった。
今回のパッケージデザインはコンペでなく、あなたに一任したいという連絡だった。ついては直ぐに中国まで来てほしい。我が街で我が社の酒を飲んでほしい。いろいろ無茶苦茶である。クリスマスを間近に控えた年の暮れ、なんでまたこんな忙しい時期に中国まで、、だがしかし、もう行かざるをえない。決断に応えねばならない。
中国北京から南に400kmの河北省滄洲市に、創業300年の酒造メーカー『十里香』はあった。十里先まで漂う芳香な酒、が社名の由来らしい。商品は白酒(パイチュウ)と呼ばれる中国発祥の蒸留酒。日本で中国の酒というと紹興酒だが、実は白酒が国民酒。白酒酒造会社は中国全土に18,000社あるらしい。無色透明、独特の味覚と香り。もちろん一度も飲んだことがない。
初日の夜、歓迎の宴を用意いただいた。見たこともない巨大な円卓に社長以下十数名の社員が拍手で出迎えてくれた。少し嫌な予感がした。その円卓には66と表記された陶器のボトルがずらりと並べられていた。どんな酒造会社でも、ゲストを招く時はできるだけ良い酒を用意するだろう。「66」と言う名の酒は十里香の最高級白酒。アルコール度数は恐れていたとおり66度だった。
宴の冒頭、社長が中国式の乾杯を教えてくれるという。ワンショットグラスになみなみと白酒を注ぐ。乾杯の後、一気にそれを飲み干す。その証として空にしたグラスの底を相手に見せる。どんな儀式やねん。いろんなお酒を飲んできたが66度は初体験。ままよと飲み干す。はじめて飲んだ白酒は旨さなどわからず、ただ痛かった。
社長との杯の交換が終わると、副社長がニコニコしながら近寄ってきた。何か言いながら66をなみなみと注いでいく。そして乾杯。その後ろには営業本部長、工場長・・結局、円卓の全員と一気乾杯を交わす羽目になってしまった。仕事はさておき、どうやら飲めるヤツという信頼は得られたらしい。しかし、俺はここで死ぬんだなと本気で思った。
翌日、かろうじて生きていた。極度の二日酔いだが取材先に向かわねばならない。事前に行きたい場所をリクエストしていた。本社、製造工場、滄洲市内、観光地、酒屋、本屋、美術館、博物館等々。短い期間でデザインのヒントを採集するには強行軍で挑まざるを得なかった。
デザインのリニューアルを託されたのは「五星」という主力商品だった。競合他社に合わせて箱もむやみに大きくしてきたが、そのやり方はやめる。品質とデザインで競争したい。何人かの中国人デザイナーに発注してみたが、似たようなモノしか上がってこない。これまでにない、まったく新しいデザインを望む。
帰国して2ヶ月後、プレゼンテーションのために滄洲に向かった。
提案したパッケージのコンセプトは「大運河の遥かな歴史を飲む」。滄洲博物館で知った、北京から杭州を結ぶ全長1,800kmの「京杭大運河」の存在。1,000年以上も前から人やモノや文化交流の要となった大動脈をボトルに刻みこむという提案をした。滄洲、そして十里香はこの運河があったからこそ生まれたのだ。
即決で商品化が決まった。日本でいえば富士山のような存在の大運河を、デザインコンセプトに堂々と掲げたことが新鮮だったらしい。こちらからすればこんな壮大な価値を使わない手はないと考えていた。デザインのヒントはいつも意外と身近にある。
一発で決まりはしたが、喜んでばかりもいられない。提案したボトルは白磁のテクスチャーにガラスの亀裂を施すというものだった。成形も前例がなく、コストもかかる。おそらく日本で作るのは不可能だろう。しかもカタチにしていくパートナーは言葉も通じない中国のボトルメーカーである。デザイン案を目にした彼らの眉間には深い亀裂が刻まれていた。
完成まで5回滄洲に出向いた。ダメ出しの連続。仕方がない。理想形に近づくにはトライ&エラーしか方法はない。しかしボトルメーカーのオヤジたちとはすっかり仲良くなっていた。ダメ出し後に円卓を囲む。落ち込んでいる彼らに白酒を注ぎながら杯を交わし通じない言葉を交わす。酒は万国共通のコミュニケーションの潤滑油だ。この仕事は酒が飲めなければ成就しなかったと思う。
デザインをリニューアルした「五星」は店頭に並び、前のパッケージを上回る売れ行きとなった。その後も十里香の商品を手がけることになり、今も関係は続いている。ボトルメーカーのオヤジは私たちの代表作になったと喜んでくれた。
昨年十里香より連絡があった、「五星」の商品名を「大運河」に変更したい。そして完成した35階建新社屋の屋上にどでかいキャッチャフレーズを掲げるという。それはプレゼンテーションで提案した言葉「大運河畔十里酒香」だった。
CD,AD/Eiki Hidaka
D/Hiroki Taguchi, Yuuka Kurihara
photographs by Michinori Aoki