『ヤバい仕事』 〜45°〜

『ヤバい仕事』 〜45°〜

すべては無茶ぶりからはじまった。

ある日、知己の札幌在住アートディレクター「W」から相談があると電話があった。
内容はこうだ。親交のあるインテリアデザイナーがデザインしたウィスキーグラスがある。モノは完成しているのだが、作りたいという想いが先行し、この先どうしたらいいか考えていなかった。ついては専門家としてアドバイスが欲しいと相談を受けたと。
グラスの現物をみたWは、ほろ酔いの勢いもあり、あれやこれやと素直かつ辛辣な感想を述べたところ不穏なムードになり、もういい!という事態になったらしい。

「で?」
「なので日高さんに連絡しました」
「は?」
「日高さんならなんとかしてくれるのではと思い」
「何を?」
「アートディレクションを」
「なんで俺?」
「顔が思い浮かんだから」

これほど酷い無茶ぶりは経験がない。
しばし絶句し、お前がやれよとも思ったが、呆れよりも好奇心が勝り、Wとも随分ご無沙汰だったので、インテリアデザイナー「H氏」を伴って上京、会うことになった。それは「受注」を意味することになるのだが・・。

待ち合わせに指定されたのは銀座の高級寿司屋で、なんでまた寿司?と思ったが、どうやらH氏が内装を手がけた店らしい。H氏の飛行機が遅延とのことで、Wと日本酒呑みながら待つしかない。彼とは札幌に行くたびに美味しいジンギスカンを食べ、デザイン話なんかより生産性のない馬鹿話に花を咲かせる仲だ。案の定、無茶ぶりに対しての抗議はそこそこに馬鹿話に移行する。

H氏は、凄腕のインテリアデザイナーだった。札幌を拠点に、国内外2,000以上の案件を手がけ、カフェの経営、デザイン団体の理事やデザイン塾開催など百面六臂の活躍をされている人物。インテリア以外にも家具や照明などのプロダクトデザインも手掛けており、今回ウィスキー好きがこうじてウィスキーグラスまでデザインしてしまったという。

そのウィスキーグラスは、「北海道ウィスキーだけを飲むためのグラス」としてデザインされた。北海道の大地をモチーフにした18角形の台座と、酒の叡智と歴史をおおらかに受け止める優雅なカタチ。その底重心な佇まいは、これまでのウィスキーグラスとは一線を画すデザインだった。

寿司屋を出て、H氏が経営しているというパンケーキ屋(超有名店)に移動するころにはすっかり出来上がってしまっていた。閉店して暗くなった店内に忍び込み、H氏が店に隠していた秘蔵のウィスキーを持ち出し、件のグラスに注いで再度乾杯。
杯を重ねながらグラスデザインへの想いを聞いていたが、飲み過ぎてあまり覚えていない。しかも、Wのここでは書けない抱腹絶倒の痴話エピソード独演会が始まってしまい、大切な打ち合わせの時間を無駄にしてしまった。

しばらくしてH氏からグラスが届いたが、見て見ぬふりをしていた。そもそもこれは仕事ではない。正式なオファーではなく、ただの無茶ぶりなのだ。目的も、スケジュールも、予算があるのかさえわからない事象。いったい何をしろと言うのか。
とはいえ、受けてしまった以上、何かをリターンしなければならない。高級寿司を奢ってもらったり、普通は飲めない幻のウィスキーなど何杯もいただいてしまったからだ。不覚にも借りを作ってしまっていた。

謎の悶々を抱えながら、年を越したくはない。桐の箱から取り出し、デスクの傍に置いていたグラスを眺めながら、一人のフォトグラファーの顔が浮かんだ。これではWと同じ転嫁作戦ではないかと思いつつ、理屈よりも見え方のほうが大事だ、などと言い訳しながら、その写真家に電話をした。

蓮井幹生さんは、これまで数多くの撮影をお願いしてきた写真家だ。毎回、無理難題の注文に対して、期待以上の写真で応えてくれる真のプロフェッショナルで、全幅の信頼を寄せている。しかし、今回のオファーは勝手が違った。仕事ではなく、無茶ぶりのパスだからだ。電話口でも歯切れが悪く、しどろもどろにならざるを得ない。

マネージャー同席の打ち合わせで、で、何すればいいの?と当惑していたが、こちらも当惑しているので気持ちはわかる。いくらなんでもグラスの丸投げはアートディレクターとしていかがなものかと思い、ディレクション的なことはお伝えした。
1)プロダクトカットとして、大人の顔つきを持つカッコ良さはマスト。
2)北海道オリジンのウイスキーグラスという出自を表現したい。
3)大地・光、そして遙かなストーリーを感じさせたい。
4)説明くさい表現は望まない。イメージの飛翔を望む。
5)以上を、スタジオワークで表現できないか?(ロケには行けないので)

無茶振りに輪をかけた無茶なデイレクションに、微妙な空気が漂ったが、蓮井氏は、とりあえず考えてみるよと、グラスを一つを持って帰っていった。これで良かったんだろうか?いやダメだろう。

数週間経ち、蓮井氏から突然連絡があった。「撮影したんでプリント持っていくよ」。テーブルに並べられた写真たちをみて驚愕した。いろんなアプローチで撮影されたグラスはどれもこれも素晴らしいカッコ良さだったからだ。なぜ、あれがこうなるのか見当もつかず、あらためてプロの写真家の技術と力量を目の当たりにした。感動している自分を尻目に、蓮井氏は「それじゃまた」と帰っていった。

選び難い写真の中から、このグラスの本質を表現していると思った一枚をセレクトし、キービジュアルをデザインした。キャッチコピーはストレートに「The Glass for Hokkaido Whisky」。仮の商品名として「45°」(北海道を貫く北緯45°の意)と名付けた。

できあがったビジュアルを、H氏とW氏に送った。
二人から返ってきた最初の言葉は、ひとこと「ヤバい」だった。





B&SA

ビジュアルの背景は、蓮井氏が以前撮影した北海道ニセコ・羊蹄山の写真を合成したという。



B&SA

B&SA

さまざまなアプローチで撮影されたプロダクトカット。流石、と言うしかない。



45°(仮)は来年ローンチ予定。このビジュアルも含め、展開は未だ不明です。



Photographs by Mikio Hasui
Glass designed by Hiromu Hasegawa
トップ画像:銀座の夜のW氏肖像