New

『ロゴは顔』 〜Regard〜

好きなロゴは何か?と問われれば、NASAのロゴと答える。なぜなら夢があるから。1959年、NASA(アメリカ航空宇宙局)の関係者が考案したロゴで、整理整頓されたプロっぽさはないが、そこがいい。遥か宇宙へ…

『44年目のシンボルマーク』

小中学校時代に勉強ができる以外に一目置かれる存在がいて、それはスポーツ万能か楽器が弾ける生徒だった。それとは別に重宝がられるスキルの持ち主もいて、それは絵を描くのが得意な生徒で、自分の居場所はそこにあっ…

『映画に愛をこめて 2』 〜徒花 ADABANA〜

映画、よく観てますよねと言われることが多い。 鑑賞後のザクっとした感想など、たまにSNSとかでアップしているからだと思う。どの映画を観るか参考にしてるという知人もおり、へんな義務感で基本おすすめできる映…

『人と創造力をつなぐ』 〜PILOT〜

幼少の時から描くことばかりをやってきた。 紙、壁、地面、スペースがあれば手あたり次第何かを描いていたらしい。 学校に入学してその習性は加速し、主に教科書が犠牲となった。 特に歴史の教科書が恰好のキャンバ…

『I saw the Light』 〜三工光学〜

この仕事につくまで両眼の視力は2.0に近かった。 現在の仕事環境からは想像もつかないが、その昔、グラフィックデザイナーの三種の神器はカッターと三角定規とピンセットだった。上がってきた写植にペーパーセメン…

『Field of Dreams』 ~Yabane~

小学校の教諭だった父は熱狂的な巨人ファンだった。 敗戦すると翌日まで不機嫌で、授業では理不尽なゲンコツが乱れ飛んだと聞く。今なら即刻懲戒モノであろう。 夕飯時のテレビ観戦で巨人が劣勢になるとチャンネルを…

『My Hometown』 ~日向屋ブランドブック~

父が小学校教諭となりはじめて赴任したのが、宮崎県東臼杵郡門川町立門川小学校だった。当時、学校の図書室で司書をしていたのが母で、父の一目惚れだったと聞く。短いつき合いの末電撃結婚。電撃的に産まれたのが僕だ…

『焼酎は自由だ』 ~宮崎焼酎フェスティバル2022~

上京当時、本格焼酎は居酒屋や酒店に置いておらず、 都内の数少ない宮崎料理屋に行くしか飲むすべがなかった。 焼酎はウイスキー・ウオッカ・ジンなどと同じ蒸留酒。その製造方法により「焼酎甲類」と「本格焼酎」(…

『ビッグスマイル』 ~GReeeeN~

これまでの仕事で代表作は何か?とたまに聞かれる。 何をもって代表作とするか基準が曖昧なので都度答えに窮するのだが、どれが知られているかと問われれば、それは「GReeeeNのアイコン」ということになるだろ…

『VERY HAPPY』 〜PRGR〜

その昔、仕事界隈で「ゴルフ上手いんですよね?」という質問をよく受けていた。 独立する前の会社で、約11年間ゴルフブランドの仕事に携わっていたからだ。 PRGR(プロギア)は1983年にタイヤメーカーの横…

『つながるしあわせ』 〜WISE・WISE〜

2020年夏、ワイス・ワイスの創業者、佐藤岳利さんから電話があった。 「新しいブランドブックのアートディレクターを探している。ついては一度お会いできないか?」。仕事の依頼で創業者ご本人が連絡をしてくるの…

No Music, No Design.

出会いはいつも唐突に訪れる。 テェーンエイジャー中期の頃、同級生T君の家にお呼ばれした。兄貴の蔵書が興味深いので一緒に探索しようと。不在の兄さんの部屋に忍び込み、ベッドの下、バレバレに隠されてる成年誌な…

『農の都へ』 ~都農町町制施行100周年~

宮崎は、遠かった。 福岡の大学に通っていた当時、帰省しようにもとにかく遠い。空路では所要時間40分程度なのだが、慢性的な金欠学生にとって飛行機は空想の乗り物であり、結果鉄道しか選択肢がなかった。 鹿児島…

『幸福なパンケーキ』 〜九州パンケーキ〜

「パッケージのリデザインをお願いできないか?」 ある日、CMディレクターの今村直樹さんからそんな依頼の電話があった。 今村さんとは、氏の著書『幸福な広告』の取材対象として出会っていた。『幸福な広告』は、…

『映画に愛をこめて』

『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』が最初に劇場鑑賞した映画だった。 劇場といっても、近所の公民館広間を暗幕で囲った即席映画館。 それでも暗闇のなか、体育座りしながら見知らぬだれかと一緒に固…

『奇跡のナス』 〜佐土原ナス〜

それまで茄子は嫌いだった。 不気味な深紫色、味気はないがえぐみはある味覚、すかすかした歯応えなき食感。こんな野菜が食卓にならぶこと自体不思議だった。茄子に罪はないのだが、子供時代の食わず嫌いは根が深い。…

『大運河畔十里酒香』~十里香~

酒は嗜む。 芋焼酎文化圏で生まれ育ったためか、アルコール耐性がDNAに組み込まれていたんだと思う。二十歳(たぶん)になってから数十年、焼酎・ワイン・シングルモルトウィスキー・・、酒は、音楽とか映画と同等…

「自分の地図を描くこと」 〜ミハラヤスヒロ〜

「学生時代の同級生から仕事の依頼がきてるんですが・・」在籍していた会社を独立する間際、入社したばかりのデザイナーから相談を受けた。その同級生は美大在学中から独学で靴のデザインに取り組んでおり、シューズメ…

「カバンを撮ってくれるな」~ゼロハリバートン~

新人デザイナーだった頃、会社に出入りするフォトグラファーがとてもカッコよく見えた。佇まい、眼光、総じて無口、当時のフォトグラファーは、ミュージシャンにも似た、孤高のオーラを放っている人達がたくさんいた。…

「デザインの山脈」 〜カッシーナ・イクスシー〜

ソファ選びの基準は、座り心地より寝心地だ。 仕事が楽しくて連日の徹夜も苦ではなかった頃、床に突っ伏して仮眠をとるのがいよいよ苦痛になってきた。我が社に足りないのは眠れるソファである。都内のインテリアショ…

「本は背表紙」 〜ホンダブックス〜

パリのマレ地区に「Comptoir de l’image」という小さな本屋がある。意味は「イメージのカウンター」。写真集やアート本専門の古本屋だ。愛想のない元カメラマンのオヤジが店主だが、趣…

「Green Boy」 〜GReeeeN〜

それまで音楽周りの仕事にまったく縁がなかった。 何年か前のある日、レコード会社の制作担当を名乗る人物から電話があった。 「来春デビューする新人グループのアートワークをお願いできないか?」面識もなく突然の…

「儚い、だから美しい」 〜バカラ〜

“RADIO”というバーが神宮前にあった。 世間知らずのペーペーデザイナーだった頃、「大人の酒を教えてやる」と先輩に連れて行かれた伝説的なバーだ。重厚な扉、カウンター席だけの薄暗…

「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その1〜

2010年4月20日、宮崎県児湯郡都農町で口蹄疫が発生した。爆発的な感染拡大の勢いはとどまることを知らず、同年5月18日、東国原知事が”非常事態宣言”を発令、発生地域半径10km…

「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その2〜

6月13日、東京でのプロジェクトは終了したが、口蹄疫の被害は拡大し続けていた。 「10万頭パネルを宮崎に送ってくれないか?」宮崎の商店街活性化グループのリーダーから突然連絡がきた。「商店街のみんなで結束…

「幸福な仕事」 〜東海道新幹線30周年キャンペーン〜

「この仕事お前やれ」。 デザイナーからアートディレクターに肩書きが変わった直後、突然ふられた仕事があった。東海道新幹線が開業から30周年を迎える。それにともなう新聞や雑誌、ポスターなどのグラフィックを中…

「日本の足の皆さんへ」 〜NIKE サッカーキャンペーン〜

2001年3月24日夕刻、パリ郊外にあるサンドニ競技場を訪れた。このスタジアムで行われた98年ワールドカップ決勝でブラジルを破り、初優勝を遂げたフランス代表と、歴代最強と謳われたフィリップ・トルシエ監督…

「丸くはなれない」 〜BESSの家〜

代官山に立寄るたびに気になる場所があった。旧山手通り、蔦屋書店近くの一等地にある広大な住宅展示場。なんでこんな場所に住宅展示場が?という立地もさることながら、あまり見ないタイプのモデルハウスや、独特な雰…

「まだ、世界にない、歓びへ」 〜LEXUS LS600hL〜

今時の若者はクルマに興味がないらしい。理由は明快だ。『サーキットの狼』がなかったからだ。 大抵の男子は、生まれながらにして『じどうしゃ』がDNAに刷り込まれている。その上に、『サーキットの狼』という漫画…

「夢の中へ」 〜井上陽水・氷の世界ツアー2014 LIVE the BEST〜

遠方でロケ撮影の仕事があり、クルマで向かう事にした。片道4時間半の一人旅。新東名を快調に飛ばしていると、なんの予兆もなく突然、猛烈に井上陽水が聞きたくなった。絶対あると念じながらサービスエリアに駆け込み…

「誰もがいつか失う重さ」 ~21グラム~

Sというコピーライターがいる。ほぼ同い年の、一緒に仕事した数より明らかに飲んだ回数のほうが多い間柄。生き方も価値観も見てくれも、かぶる部分がまるでないのだが、数少ない接点の一つが互いに映画好きというとこ…

「EPISODE SW」 〜GOOD YEAR〜

はるか遠い昔・・。 15歳の夏、ある雑誌の創刊号を手に入れるため本屋に駆け込んだ。『STARLOG』はアメリカで創刊された月刊SF専門雑誌で、映画『スター・ウォーズ』について最初に報じた出版物のひとつで…

「ひなたのチカラ」 〜宮崎県プロモーション〜

17歳の頃。宮崎から脱出することしか考えていなかった。インターネットなど夢物語のはるか昔。テレビの民放が2局しかなく、FM局もNHKのみで、本屋や映画館も数えるほど。デザイナーを志し、新しいデザインや音…

「僕らの夢」 〜日興コーディアル証券〜

2001年に独立し、しゃにむに日々の仕事をこなしていたさなか、知り合いのコピーライターから連絡がきた「マリナーズの51番なんだけど…」。クライアント名や内容など聞く前に間髪いれず「やります!…

「Life goes on.」 〜The Best of LIFE〜

“写真”という表現が好きになったきっかけは、父の本棚にあった。 小学校の教師ではあったが「午後5時を過ぎればただのオトコ」という迷セリフをうそぶき、夜や余暇は自分だけの時間を謳歌…

For All Photographers

ある商品のカタログ撮影で、会心のフォトディレクションと自負できる写真が仕上がり、盤石の自信を持って社長プレゼンに臨んだ。 社長はテーブルに並べたプリントを、じっと食い入るように見ていた。長い沈黙の後、「…